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メガネを買った。

展覧会のキャプションが見えにくくなっていることに気が付き、ぞっとする。
文字がこのくらい見えにくいということは、作品だって見えていないということだ。
見えないことよりも、見えていないことに無自覚なことの方がずっと怖い。

月末に上京しようと思っている。
見たい展覧会が重なっているから。
山種で、近代以降の日本絵画としては最も敬愛する村上華岳展が開かれるし。

それで、メガネ。
ちゃんと見たいから。

視力検査をすると、見えない見えないと思っているわりに、
1.0も視力はあると言われる。

でも、視力検査のあの文字を、私は相当に勘で読んでいるんだ。
ほとんどボヤボヤだけど、モノの形には芯があるから、
その芯を基に推察すれば、大抵読める。
本当は見えてない範疇だと思うけれども、
そうやって、姿にならない気配を形にするのが自分の制作の常だから、
多分、視力検査としては禁じ手を行使しているのじゃないかと思う。

90を過ぎた祖母が、幼少の記憶で「文化人形」を作ったことがあった。
「高橋真琴」的な面立ちの可愛らしい人形だった。
ほとんど眼の見えない祖母は、どうやって針の穴に糸を通すのか。
父が祖母に訊ねると「心の眼で見る」と笑って答えていた。

夜中、老犬の世話で何度も散歩に出かける。
田舎町だから、星もよく見えるけれども、乱視の影響か、星の光がみなにじむ。
にじんだ光もきれいだなのだけど、掴みようがない気がして、切なくなる。

光の元、その芯を見失っているほどではないと思う。
でも、光の方向も、闇に消え入るその風情まで、細かに見ていたい。

これから、老化のようなことは加速していくのだろう。
与えられた時間は少ないのだし、
使えるものはなんだって使って、見えるものは見ていたい。

ずっと右目1.5、左目2.0だった私。
メガネ屋のお兄さんは
「このメガネで、1.5にすることは可能です。
 体調さえよければ2.0近く見えます」と言ってくれた。

生活にはまったく不必要なスペック。
でも、今の心には必需品。

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